「競争社会」という言葉は一般的にあまりプラスな印象ではとらえられていないようです。
強者と弱者が存在するので、格差を生み出し、経済的に苦しむ人が増える、といった言われ方をします。
では平等社会がよいのかと言えば、勝ち負けをつけずに 全員が平等に評価されたり、または給料も全員と同額であれば、頑張っても頑張らなくても同じなので、 みんなが怠けるおそれがある、とも言われます。
ビジネスの第一線で働く人たちは、「競争」という言葉に 何の違和感もないでしょうが、いわゆる負け組と言われる人に とっては競争に負けた気持ちが強いので、「競争」という言葉に嫌悪感を持つかもしれません。
ところで、名経営者と言われる松下幸之助さんや稲盛和夫さんは時に仏教を経営に活かしていますが、仏教では 競争という言葉はあまりでてこないようです。
どちらかと言えば、切磋琢磨という言葉が見られます。
切磋琢磨は切る、磋る(けずる)、琢(形を整える)、 磨(磨く)という一連の流れを指していて、 仲間同士で励ましあって技術を高めあったり、 スポーツに励んだり、という意味でつかわれています。
また、この切磋琢磨という本来の使われ方は 自分の心についた垢を削り落とし、心を整え、 そして磨いていき、人格を高めるということになります。
競争社会というと、だれかを負かして勝ち上がらなければならない、といった大きなストレスが かかってきそうですが、 切磋琢磨社会といえば、相手は関係なく、常に自分を磨くということになるので、 マイナスなストレスよりも、 プラスなエネルギーが生まれてくるのではないでしょうか?
そして、その努力が実る人もあれば、なかなか実らない人もいますが、 それは仏教的にはその人の人間性の高低ではなく、 役割の違いであると説いています。
ビジネスでは、勝ち負けはついてまわるものですが、 あまり相手ばかりを意識していてもココロに負荷がかかるばかりです。
時には、切磋琢磨のように内面を磨く作業も大きな成果を出すための大事な工程ではありましょう。
話は変わりますが、ゴルフであまりうまくない人同士で勝負をするときは、相手がミスをすることを望むそうですが、 一流同士の勝負は相手がいいショットを打つことを望み、 そのショットを見て、自分をさらに磨こうと思うのだそうです。
前者はレベルの低い競争社会、後者はハイレベルの切磋琢磨社会といえるのかもしれませんね。